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大阪地方裁判所 昭和61年(わ)5910号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一本件公訴事実は、「被告人は、かねてから近所に住む甲野花子(当時五〇歳)が、被告人を馬鹿者扱いしていると不快の念を抱いていたところ、昭和六一年一二月一四日午後一時三〇分ころ、大阪市東住吉区〈住所省略〉甲野タバコ店こと甲野花子方において、同女からタバコ一箱を購入した際、同女が被告人を笑つて馬鹿にしたと激高し、同女を殺害するもやむを得ないと決意し、同女方台所入口付近において、同女方台所にあつた刃体の長さ約一六・二センチメートルの洋包丁で、同女の右脇腹及び背中を各一回ずつ力まかせに突き刺したが、同女がその場から逃げたため、全治三週間を要する腹部刺創、大網損傷、背部刺創等の傷害を負わせたに止まり、同女を殺害するに至らなかつたものである。」というのであり、責任能力の点を除き、被告人が右公訴事実記載のとおりの行為(以下「本件犯行」という。)をしたことは、当公判廷で取調べた各証拠によりこれを認めることができる。なお、弁護人は被告人には本件当時殺意がなかつたと主張し、被告人も殺意について否認する旨の供述をしているが、取調べずみの各証拠によると、被告人が本件犯行に使用した包丁(昭和六二年押第一三二号の1)は刃渡り約一六・二センチメートルであつて殺傷能力は十分であること、被告人は右包丁を用いて、被害者の人体の枢要部である側腹部を刺し、さらに逃げようとする同人の背部に刺突行為を加えているのであつて、その犯行態度は危険かつ執拗であること、被告人は犯行直後も被害者を包丁を持つて追いかけ、「殺してやる」等と言つていること等の事実が認められ、これらの事実に照らすと、被告人に殺意があつたことは明らかである。

二被告人の責任能力について

1  弁護人は、被告人は、本件犯行当時精神分裂病の再燃期にあつて、これによる関係・被害妄想に支配されて本件を惹起したのであるから心神喪失の状態にあつたと主張し、検察官は、被告人は本件犯行当時心神耗弱の状態にあつたものの未だ責任無能力とはいえない旨主張する。

そこで検討するのに、取調済の各証拠、ことに証人浅尾博一の当公判廷における供述、乙山春子の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、丙川一夫の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、丁本夏子の司法警察員に対する供述調書、乙山春子作成の供述書、司法警察員作成の捜査報告書(証拠請求番号1、27、28)、大阪市東住吉区長作成の身上調査照会回答書、汐の宮病院医師真木修一、吉村病院長藤木明及び紀泉病院医師里井史郎各作成の捜査関係事項照会回答書並びに鑑定人浅尾博一作成の精神鑑定書によると、次の事実が認められる。

(一)  被告人の家族関係について

被告人の父乙山二郎は、昭和一九年ころ仕事先の者と口論をした挙句、包丁で喉仏を突き刺して自殺しており、また、父の弟は二人とも精神分裂病等の精神的疾患があり、一人は病院で死亡し、もう一人は通院中である。被告人は四人兄弟(男三人、女一人)の長男であるが、妹の丁本夏子は精神分裂病性の妄想反応により精神病院に通院中であり、また、弟の秋男は被告人の本件犯行を大変気にしていたところ、昭和六二年二月一〇日に自殺するに至つている。以上のように、被告人の父方及び被告人の兄弟に精神分裂病者や精神的異常による自殺者が見られるなど、被告人の家系内には精神病の遺伝的素因がみられるところである。

なお、被告人には三人の子供があるが、精神的異常のみられる者はいない。

(二)  被告人の経歴及び犯行前の状況

被告人は、昭和一二年に出生し、前記のとおり父が自殺した後、母が弟秋男を連れて実家に帰つたため、祖母の手によつて育てられ、昭和二七年に中学校を卒業後、シャープ電機株式会社に入社し、平野工場(以下、単に会社という。)に工員として勤務していたところ、昭和四〇年に戊木春子と結婚し、同女との間に三人の子をもうけたが、被告人は結婚当初から、他人と挨拶したり話をしたりすることが殆んどなく、いさかいがあつてもまごまごするだけで十分な解決もしないといつたところがみられた。一方、仕事については非常に真面目であり、几張面であつて、二四歳の時には班長となり、プライドも高く持つようになつていた。昭和四三年ころ、被告人は会社で上司とのトラブルがあつて暴れた後、自宅の庭で自分の頭を瓦の破片で欧打する等の奇行に出たため、大阪府泉南市の紀泉病院に入院した(病名は非定型精神病)。

被告人はその後、昭和四八年四月、春子が台所で炊事をしていたところを背後からいきなり刺そうとしたため、再び紀泉病院に入院し、それ以来昭和五五年一〇月までの間、前後一〇回にわたり同病院への入退院を繰り返した。

この間、被告人は調子が悪くなると時々会社を休んだり、落ち着きがなくなつて煙草を多量に喫うようになり、部屋の隅に座つて煙草を喫うだけでひとりで物も言わず考え込んだり、一人言を言つたりすることがあり、また顔色が黒つぽくなつて目がすわるといつた状態になり、春子が被告人のこのような異常を感じては被告人に薬を飲ませ(紀泉病院からは向精神薬が渡されていた。)、睡眠をとらせて落ち着かせ、会社に行かせていた。しかし、被告人はこれに対し服薬を拒絶したり、また、「おのれが。」「この野郎。」等と突然叫んだりすることがあり、こうなつたときは、春子は、被告人を直ちに入院させることにしていた(医師の指示による)。また、被告人は、「誰かが自分を連れに来る。」と口走り、障子を閉めて回つたり、包丁やカミソリ等を持つたりすることもあつた。昭和五六年一月、被告人は、炬燵に入つて子供とテレビを見ていた春子に対し、「おのれら殺したる。」と言いながらいきなり包丁でその頭部を切りつけ、同女に六針も縫う怪我を負わせたため同府富田林市の汐の宮病院に入院させたが、この時被告人は、幻聴(例えば妹の声が聴こえる等)、作為体験、支離的、衝動的行為、病識の欠如等の症状がみられ、精神分裂病と診断された。さらに、被告人は昭和五八年一月に、会社社長の家族の葬儀の際、突然「自分の将来を保証せよ。」と会社側に要求する等したため、汐の宮病院に入院したが、この時も前回と同様の症状を呈していた。その後、被告人は、同府松原市内の吉村病院に転院し(ここでの病名は非定型精神病)たが、被告人は約一か月後の退院時、春子に対し「あの時俺は天皇陛下の所に行こうと思つてたのや。」と平然と話していた。被告人は同年八月二七日まで同病院に定期的に通院していたが、その後は通院していなかつたところ、同年一〇月に入り、会社で「自分が監視されている。」といつて上司に暴力を振るつたため、同月七日から同月一二日まで吉村病院に入院し、同年内に七回、昭和五九年一月、同六〇年二月、同六一年五月(二回)に吉村病院で通院治療を受けた。

昭和六一年に入つてからも、被告人は職場で「こんな仕事やつてられへん。」等と言つて職場を放棄し、訳のわからないことを言うことが二、三回あり、職場の人に連れられ帰宅することもあつたが、服薬によつて症状がおさまることが多かつた。

(三)  本件犯行直前の被告人の言動

被告人は、昭和六一年一一月中ころから再び調子が悪くなり、不眠や、一人言をいうといつた症状があらわれ、春子は被告人に服薬させていたところ、同年一二月一一日、被告人は会社で上司に「わしを監視している。悪口を言つている。」と訴えたり帰宅後、縁側に座つて次々と煙草を喫い、一人言を言うなどして、翌一二日は寝不足のためイライラしており、仕事を休んだ。このころ被告人は夜眠らない日が二、三日続いており、春子が服薬をすすめてもこれを拒否していた。

同月一三日、被告人は仕事に行こうとしたが、当日朝から被告人宅前で交通検問があり、玄関先に警察官が一〇名位立つているのを見て、「わしを連れに来たんや。」等と言つて、裏口から逃げるようにして出勤したが、仕事中、上司に「わしを見ているんや。」と洩らしたり、終業後上司に、「わしを監視している。」「わしの悪口を言つている。」などと訴えたりした。

被告人はその夜は少し眠つたが、春子が翌一四日午前六時ころ目を覚ますと、被告人は既に起きており、布団を出たり入つたりしていたので、春子が薬を飲まそうとしたところ、これを拒否して薬をごみ箱に捨ててしまい、これまで布団をしまつたことがなかつたのに布団を押入れに片付けたその後も被告人は落ち着かず、鏡の前で何枚も洋服を着たり脱いだりしたほか、通行人を見て一人言を言つたりし、目もすわつてきていたことから、春子は被告人の調子が相当悪いと思い、一四日は日曜なので、翌日には受診させようと思つていたが、外へ出れば気も晴れるだろうと思い、被告人に寿司でも買つてくるよう頼んだところ、被告人は自転車で出て行き寿司を買つて来た。

(四)  本件犯行時の被告人の言動

その後、被告人はしばらく家の中にいたが、煙草が切れたのでこれを買いに筋向いの本件被害者である甲野花子(当時五〇年)方煙草店へ行つたところ、応対に出た同女から、煙草と一緒にサービスとしてライターをあげると言われたが、被告人は「ライターはいらん。」と答え受取らなかつた。そこで甲野は台所の方へ戻つたところ、被告人は同女に対し「上がらしてや。」と言つて同女宅に上がり込んだ後、「寝かしてや。」と言い出したので、甲野は「薬を飲んで寝たら。」等と答えた。すると、被告人は今度は二階へ上りかけたので、甲野は「下で寝い。」等と言い再び台所の流しの所に戻つたところ、被告人が甲野の横に来て黙つて立つていたので、気味が悪くなつた同女が店の方へ行こうと体をまわしたところ偶然被告人と向きあつてしまい、同女は驚いて逃げようとしたが、被告人は流しに置いてあつた包丁をつかみいきなり本件犯行に及んだ。

(五)  本件犯行後の被告人の言動

被告人は犯行後、南隣の癸田正一方に逃げ込んだ被害者を包丁を持つたまま追いかけたがその際被告人は「殺してやる。」「このガキ、悪い奴や。」等と叫んでいた。その後被告人は、かけつけた警察官に逮捕されたが、その際「何で手錠をはめるんや。はずさんか。あのガキとことんいつたる。」等と口走り、かなり興奮していた。

2  以上の事実に、前掲の鑑定人浅尾博一作成の精神鑑定書及び同人の当公判廷における証言供述を併せ検討すると、被告人は精神病の遺伝的素因を生来的に有しているうえ、日常生活においても、対人接触に際しての不自然なぎこちなさ、表情の少なさ、強い関係・被害妄想、衝動的行動(思考の滅裂)、感情の鈍麻等の精神分裂病特有の症状を呈しており、ことに誰かに見張られているとする注察妄想や関係妄想、被害妄想はいずれも精神分裂病に特徴的な症状であつて、いわゆる一次妄想(直接的に突然発生して確信される)として捉えられるべきものと考えられ、さらにこのような症状が調子のよい時期をはさんで反覆継続して発症し、これまでに十数回精神分裂病ないし非定型精神病との診断により入退院を繰り返しているのであつて、以上の諸点にかんがみると、被告人は昭和四〇年前後から妄想型、緊張型の精神分裂病に罹患しており、本件犯行時にはその再燃期にあつて、その程度も相当重度のものであつたと認めるのが相当である。

ところで、被告人は、現在、精神的な安定を保つており、幻覚、妄想、精神運動性興奮状態、衝動性といつたいわゆる陽性症状はないが、これは被告人が本件犯行後大阪拘置所において持続的に向精神薬を服用しているためであり、前記浅尾鑑定によると、感情の鈍麻、思考のまとまりのなさ、現実感の喪失といつた精神分裂病特有の陰性症状は認められるのであり、このことは被告人の当公判廷における態度からも窺われるところである。

3  検察官は、被告人が精神分裂病に罹患していることは認めながらも、(1)本件の動機は、被告人が度重なる入退院の繰り返しから周囲の者の態度や言動を気にし、時に自己の悪口を言つているなどと気をまわし、そつとしておいてもらいたいのに、周囲の者がいらざる取り沙汰をするとしていらだちを覚えていたところ、被害者の愛想笑いに対し馬鹿にしているとして立腹したものであるが、これは、被告人の性格や当時の心理状態を踏まえると十分了解可能である。(2)被告人は、犯行について自己の行為を基本的部分において認識しており、かつ、激情犯にしばしば見られる記憶(記銘)の脱落も認められるところであり、この点は精神分裂病者によく見られる行為の記憶が鮮明でその意味付けに見当識を欠くのと全く異なる現象であることを理由に、本件は、被告人の関係妄想にある程度依拠するにしても、完全に妄想に支配された犯行と評価することは不適切であり、被告人は犯行当時心神耗弱の状態にあつたにすぎない旨主張する。

そこで、右(1)について検討するのに、なるほど被告人の捜査官に対する供述調書によれば、被告人はプライド(特に仕事について)が高く、他人を気にしていたことが窺われるが、被告人が本件の動機につき右供述調書や当公判廷において、あるいは浅尾鑑定人の問診に対し述べているところによれば、大要、被害者が近所の人に自分のことを病気だと言いふらしているのではないかという気がしていたうえ、被害者が自分に「元気やね。」「この頃調子ええな。」等というのは、自分の病気のことをひやかされているような感じがするし病気が再発したと疑がつているような気がして同女に対し良い感情を持つていなかつたところ、犯行当日、被害者方に煙草を買いに行つた際、同女は笑いながらサービスでライターをくれると言つたが、これは、被害者が自分を馬鹿にして笑つたものであり、また、ライターについても自分はライターをもらう程落ちぶれていないつもりであるのに自分を馬鹿にして呉れると言つたものと考え、猛烈に腹が立つたというのであつて、殺人の動機としては理解し難いところがあるうえ、前記浅尾証言によれば、被害者の社会生活上通常見受けられる程度の挨拶や愛想笑い、サービスなどを右のごとく受取ること自体が被告人の精神分裂病に基づく妄想によるものであつて、被告人の性格といつたものでは説明できないことが認められる。

また、右(2)については、精神分裂病者による衝動的行動にも記憶の脱落がありうることは浅尾鑑定にも示されている通りであつて、さらに、被告人は、本件において被害者が笑つた等の点については妄想的確信を抱いているのであつて、これら重要な点について記憶の脱落はないものと認められる。

結局、被告人の本件犯行は、単なる激情的な犯行ということはできず、精神分裂病に基づく妄想に直接支配された犯行と考えざるを得ないので、検察官の右主張は採用できない。

なお、医師執行経世作成の精神衛生診断書には、被告人は、非定型精神病であるところ、犯行時の理非弁別の能力はあるが十分でないとの記載があり、前記紀泉病院及び吉村病院においても非定型精神病との診断が下されているが、前記認定の被告人の症状からすれば精神分裂病であるとの前記浅尾鑑定は十分首肯することができる(汐の宮病院においても精神分裂病と診断されている。)うえ、右診断書では被告人に関係妄想、被害妄想があることを認めていながら右のような結論に至つたその推論過程は、全く記載されていないこと等にかんがみると、前記浅尾鑑定に合理的な疑いを生ぜしめるものとはいえず、採用の限りではない。

さらに、関係各証拠によれば、被告人は犯行前日まで会社に行つて仕事に従事しており、犯行直前にも寿司を買いに行く等日常生活のうえで通常人と変わらない行動をしている部分もあることが窺えるが、精神分裂病者といつても意識障害や知能の低下はないと考えられているうえ、浅尾証言によれば、妄想等に支配されない範囲においては、通常人と変わらない行動ができる面があるというのであるから、右事実が前記の結論を左右するものではない。

三叙上の次第であつて、被告人は本件犯行当時、精神分裂病の再燃期にあつてその程度も重度であつたうえ、関係・被害妄想に基づいた強い精神運動性興奮状態の下で衝動行為として本件犯行が敢行されたというべきであるから、被告人は心神喪失の状態にあつたものというべきである。したがつて、被告人の本件犯行は心神喪失者の行為として罪とならないから、刑事訴訟法三三六条前段により、被告人に対して無罪の言渡しをすべきものである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官内匠和彦 裁判官角 隆博 裁判官橋本 一)

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